2011年01月28日

働く女性

  朝から雲ひとつない晴天。帯状疱疹は順調に回復(と思っている)。明け方肋骨の最前線部分が痛んだのだけど、ウイルスめ!最後のあがきか!などと思って、残り最後の頓服を飲んだ。午後から医者に行って「もう薬は要らないでしょう」という言葉を期待している。症状が出てから、もう2週間がたってしまった。気がつけば、もう1月も終わり。うかうかしていると、あっと言う間に4月の新学期が来てしまう。採点などの仕事が終わったら、ゆっくりと温泉にでも行きたいな・・・。などと思っている。そして・・・

 昨日ひさしぶりに、職場の後輩と昼食を一緒した。彼女は非常勤で授業をお願いしている昔の会社の後輩(同僚?)。結婚して会社を辞めて、子供を産んで、今は子育てと主婦と週何回かの仕事をお願いしている。もう一人は、子供を産んで頑張っていたのだけれども「お母さん、僕もう限界」という一人息子さんの言葉に、意を決して退職。しかし今は精力的に不定期な仕事をこなしている。
 
 「百子さん、やっと子供が1歳になります。もっと仕事がしたいんですけれど・・・」という後輩の話から始まり、子供を持つ女性の仕事の仕方についての話が続いた。
息子さんの一言で、総合職の仕事をやめたもう一人の彼女の「もっと仕事がしたいんだけど、どうしても子供のことが気になって後ろ髪を引かれて、残業ができなかったんですよね」。仕事がしたいという気持ちと、子供をほったらかしにはできないという葛藤話に、まだそんな経験はこれから、という後輩が聞き入る。
そして、ご主人から経済的に厳しいから君も働いてほしい、と言われたという友人の話に及んで・・・。その彼女3、5、7歳という3人の子持ちだそうだ。独身時代勤めていた会社を辞めて10年たち、再就職ができるかとても不安になっているという。

 かたや、ある企業から、子供を育てながら働く女性の就業意識を高めてほしいとの趣旨の講演の依頼が・・・子育てに気を取られて仕事がおろそかになっているのだろうか。そんな女性たちにももっと戦力として活躍してほしいとの、企業側の本音なのだろうか。

 もっともっと働く女性の本音が聞きたいななどと、思っている。これが百子の春休みの課題。
 さっ、頑張ろうっと。背中の湿疹のあとがかゆいぞー。我慢がまん。



 
 

 
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2011年01月08日

さぁ仕事はじめ。

 研究室に到着。静まり返っている。でも朝日が差し込み暖かい。
 今日は9時半からスクーリング。明日も明後日も、9時から6時までと強行軍だ。さて今回は何人の受講生が集まるだろう。
年末「受講生申込みが100人を超えてしまいましたが・・・どうしましょう」と事務局から連絡。うーん。仕方ないプログラムを変更してでも強行だ。グループワーク、個人演習が中心になる科目だから、人数は多くても60人が限度なんだけれども・・・。それでも10グループ。最適人数は50人程度か、それ以下。そうすると受講生一人ひとりの顔が見えてくる。3日間缶詰の授業だから。そんな授業が好きなんだけれども。
 と昨日からプログラムをあれこれ模索していた。でも蓋を開けてみないとわかんないんだよなぁ・・・。

 メールを開けると、年明けの授業や試験にかかわる事務連絡が何通か。そうなんだぁ。今日が仕事始めで、年度終わりの時期に入るんだぁ。
 この職場に来て、この職業を始めて7年が終わるんだ。早かったなぁ。そしておもしろかったなぁ。あと何年できるのだろう。

 ふと、この仕事本当に自分に合っているのかもしれないなどと思う。長い仕事人生だったけれど・・・

 さてさて、そろそろ教室をのぞいてみようか。
 
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2010年12月07日

機が熟す

 週末、仕事をしなければと一日空けておいたのに、仕事のことなどすっかり忘れて、ぼぉーと俳句の本を読んだり、テレビを見たりしてしまった。その何日か前から。そして昨日の朝早く、「あっつそうだ」あの仕事をする予定だったのだ、これも・・・」と思い出し、冷や汗だらだらという始末。
 そのたまっていた仕事も昨日今日とある程度片付いて、今は又いつもの授業日が進んでいる。

 でも不思議なものである。仕事のことなどすっかり忘れて遊びほけている(今週あたりから忘年会がかなり入っている)と、その反動か、仕事がしたくなってくる、と言うかしなければと自責(脅迫)の念が湧いてくる。全く困った習性だ。

 テーマはある。だから今朝もバスの中でいろいろと考えていた。どう進めようかと・・・。これも昨日からの仕事モードがそうさせたのだと思うけれど。まぁその前に遊び惚けていた何日があるけどね。
 
 心の中のもやもやとしたものが、ある時、急に形になって表れてくる。テーマがはっきりしてくる。特に昔、企画という仕事をやっていた時によく感じたことだけれど。出版された拙書の原稿を書き始めた時もそうだった。ぐずぐずと考えていて、ある日イメージがぱぁっと浮かんできて、そして書き出した。
 それは、今のような状態だった。行動を始めるという機が熟した時だったのだろうか。
 
 さて、動き出そうか。現役最後の仕事になるかな?今回はフィールド調査を中心として進めたい。皆様にお願いすることも出てくるかもしれない。どうかよろしくお願いいたします。

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2010年09月16日

キャリアの転機

   夜明け前から雨の音がしていた。今もまた雨脚が強くなったようだ。窓を開けていると寒いぐらい。もうとっくに夏はどこかに行ってしまったらしい。
 長期の休みも終わろうとしている。来週から後期の授業が始まる。
 またまた仕事の課題が片付いていない。というより形になっていない・・・。いつもこうだ。と少々自己嫌悪にも陥っている。
 
 言い訳をしよう。こんな風にぐずぐずと考え続けているのも大事なことなのだ。ある日それが突然かたちになって現れ始める。そうした時に一気に行動が伴えばいいのだ。本を書いたときがそうだった。書きたいものがなんであるか・・・何かを書きたいから書く、のではなく、これを書きたい!という自然発生的に心の中から湧き出てきた物を書く。そうすればそれは順調に形になる。そんな状態にするまで、たぶん1-2年かかったのではなかったか。
 キャリアの転機もそんなふうに起こる気がする。

 昨日息子が、自分自身のキャリアについてブログに書いていた。転機を考えているらしい。自問し続けることが大事だ。「これでいいのか」と「このままでいいのか」。と。しかし早急な行動はよくない。
 早急に行動したくなる気持ちもわかる。そういう場合は、簡単に結論を出さないこと。手始めた仕事にしがみついて、それがつまらなくてもしんどくても何しろその仕事にしがみついてみること、そして、そこから、その中から次の道を見つけだすことができることもある。その場に立ち止まって、「これでいいのか」と自問し続けることだ。そのどこかに、風穴はないかと。

 キャリアの理論を参考にしてもいい。その道の研究を続ける学者先生に指南を受けることだから。しかし理論の曲解はいけない。
自分自身の言い訳に使ってはいけない。
 たとえば『Planned Happened Stance Theory』。
 この理論は、自分自身のキャリアの軌跡の弁解に使う理論ではない。これからキャリアの幅を広げていくために、自分自身がどれだけ偶然に起こるチャンスを物にできるか、そのための行動パターンが自分自身に備わってるのかを分析し自己改革していくために使うべきだ。好奇心、冒険心(リスクテーキング)、楽観性や柔軟性。・・・・
 今思えば、百子のキャリアの軌跡は、それこそ、偶然な出来事に救われたことが多いけれど、その偶然に訪れたチャンスに飛びついた百子に、よくいえば楽観性や冒険心があったからだ。軽率さともいえる。しかし、そしてその仕事にしがみついた。背水の陣的な心境で。悩みながら。今だって悩んでいる。この仕事でいいのだろうか・・・と。
 
 要は、どんな仕事だってこれで完璧、天職だ、って断言できる仕事などまれなのかもしれない。要はその仕事がすきかどうか。充実感が味わえるかどうか、一緒に仕事をする人たちとの交流がどうか、にかかっているような気がする。それと生活の糧を得ること。
 そんな仕事を目指すために、勉強したり資格を取ったりすることは決して無駄ではない。自らが自分自身の道を作っていくのだから。そしてそんな中で、偶然に訪れるチャンスを貪欲に待つことが大事だ。
 焦りは禁物。されど努力は必要。がんばれ!
 
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2010年07月14日

「クリエーターたる者」

 今週が終わると、来週は前期の最終回。どうにかめどが立ってきた。がんばろうっと。

 mixiの愚息のブログに「クリエーターたるもの」という記事が載っていた。愚息に無断で転載する。

 実は僕、クリエイターに無茶な要求をするのが好きなんですよね。
あえて具体的なオーダーをせず、向こうが自分の要望を探ってくるのを促すんです。
ちょこちょこイメージを語りながら、提案を待つ。それが好き。

地元志木の飲み屋のマスターにもよく無茶な注文をしてたなー。
レモンとアボカドを使ったチャーハンを作ってほしい、とか、
ひどい時には、おれがいま食べたいチャーハンくださいとか。

そのマスターのすごいとこは、そうやって出来たチャーハンが本当に美味くて、
まさしく僕の心の奥深くが望んでたんじゃないかってものを出してくれたこと。
「うまい!」という僕の感想に、マスターは「やったぞ!」という顔をしていて、
その充実感がクリエイターの醍醐味だろうなぁと、若かりし僕は感じました。

それからというもの、僕はいいクリエイターがいるお店が大好きです。

「期待に応えて予想を裏切る」僕が何かを考えるときよく思い出すことなんだけど、
客にとってのイチバンは、自分が望んだものを応えてくれることに加えて、
驚きや、オンリーワン感なんかの価値があることなんだろうなぁ。

そのためには人の心を想像する力がやっぱりいるし、
一回一回、考えるのを怠らないことが大切だよね。



 愚息、実はクリエーターもどき(失礼!)らしい。大手代理店に転職していまはコピーライターだけでなくいろいろな仕事をやってるらしく、、時々消息不明になったり、外国から金を無心して来ることもあるけど、たまにはマジなこと書くじゃんと。(多くは卑猥なことばかり書いているけど・・・)

 短大で持っている授業(ホスピタリティ関連)の進め方に限界を感じていて(どうしたらホスピタリティなるものを学生に理解させて、実践できるように仕向けるか・・・)
 やはり、社会に出て、仕事を体験して、その中から何かを学び取ることが一番なのかもしれない。

 でも誰もが、気づくことではない。まず自分の仕事が好きなこと、問題意識を持っていること、そこからなのだろうなぁ。
 さて、どれだけの学生が、そんな仕事に出会えるだろうか・・・。そして考えてくれるだろうか・・・。そのための種をまくことしかできないけど・・・。

 さっ授業。授業。
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2010年05月11日

キャリアって。

  研究室に到着し、PCの電源を入れる。メールのチェック、そしてブログ仲間のブログをチェック。
 そうしたらなんだか元気が出てきた。週初めからまたまた気温が下がって、雨で、風邪かなと思っていたら、どうもそれは気のせいらしい。大丈夫。元気な人のブログを読んでいたら元気になれそうな気がしてきた。

 連休が明けて授業再開。さぁやるぞと元気な学生たち。逆になんだか意欲減退な風な学生も。そう、昔5月病などという病気があったな。おっと、冗談じゃない。百子が5月病にかかったわけではないよ。
 逆に気持が緩んでいる風の学生もちらほら。これから2か月が授業の正念場だ。気合だぁー。

 授業といえば、キャリア関連の授業で感じていることがある。「自分の進路がわからない・・・」という学生の多さだ。入学するときには、一応大学を出て・・・こんな、あんな仕事に就いて・・・と夢を膨らませていたのだが、それがどうも今は違うと感想を漏らす学生だ。
 自分がやりたいことが分からない・・・。
 
 いいんじゃない。じっくり考え悩めば。キャリアって、歩きながら考えるもんだよ。考えながら進むもんじゃない?
 「じゃあ今はどうしたらいいんですか?」そうねぇ。どうしたらいいと思う?あなたは・・・。
 
 そう、コメントに書きたいのだけど、何せ人数が多くて。でも頑張るよ。それが百子の仕事だから。百子だって歩きながら考えているんだから。

 「『キャリア』って人とは違う能力やスキルのことを言うのかと思っていました。だから資格を取らないといい『キャリア』は作れないと思っていました」とコメントした学生が多かったのには驚いたな。キャリアって、自分の人生そのものだと思うんだけど・・・。資格があればいいキャリアが築けるわけではないんだけど・・・。

 

 

 
 
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2010年03月24日

「女30代の就業事情」

 産労総合研究所」発行の「労働判例」の表紙裏「遊筆ー労働問題に寄せて」に百子の随筆が載っている。「女30代の就業事情」という題だ。

 4月1日号であるし、どちらかというと定期購読が多い雑誌なので店頭で見かけることが少ないかもしれない。だからここに全文を載せておこうと思う。


<女・三十代の就業事情>

昨年夏、「女36歳からでもキャリアは作れる」(光文社刊)を上梓した。私は結婚12年で、夫の失踪という、とんでもない事態に巻き込まれている。子供3人を抱えながらどうにか再就職を果たし、転職を重ねながら手探りでキャリアを作ってきた。そんな私の苦闘ぶりを、キャリアの理論を交えながら書いた半生記である。

 出版後、思いもかけず多くの女性たちから、共感のメールやお手紙をいただいた。離婚後、女手一つで子育てという、私と同じような体験を述べている方が少なくなかった。ご自身の窮状を訴える人もおられたが、その方も含め、ほとんどが最悪の時期を脱していると考えられた。自分の境遇を見知らぬ他人に語れるのは、すでによい方向に進み出しているからで、社会人としての能力を十分に備え、あるいは発揮している方々のようである。 しかしこの人たちは、世の中の少数派と言えるのではないだろうか。

離婚後の子育て中で、生活の糧を得るため、苦しみながら仕事を探し求めている女性たちが大勢いる。保育園の入所の優先順位は、おおよそ「今働いている人の子供」に置かれており、「これから仕事を始める人の子供」ではない。たとえ再就職を果たしたとしても特別な能力がない限り、賃金は初任給程度である。門戸を開いてくれるのはパートくらいかも知れない。

今、「助けてと言えない30代」が話題になっている。NHKの「クローズアップ現代」が取り上げた「39歳、職を失った男性の苦悩」という番組(200910月放映)。仕事にありつけない30代後半の男性にスポットをあてている。高度経済成長期を支えた親を持ち、頑張ればできる、出来ないのは自分が悪いという自己責任を問う教育を受けた世代だという。だから「この状況にいるのは自分が悪いのだ」と自分を追い詰めてしまう。番組には共感するメールが3日間で2000件も寄せられたそうだ。

自分を追い詰めてしまうのは女性とて同じだ。特に、子育てのために仕事にありつけない、しかし「助けて」と言えない女性。その多くは30代である。親族も含めた世間から「離婚の原因はあなたにもある」という、冷たい視線を浴びがちである。悪いことに「私にも悪い点あった」と自分を冷静に分析する能力もある。「夫が悪かった」「世間が悪い」と大声で訴えることをせず、新しい一歩を踏み出でないでいるのである。

 女性の就労曲線(M字型曲線)で、子育てに専念した女性が何らかの事情で再び社会に戻り始めるのは、M字の最下点から右上りになり始める時期である。しかし、夫がいない、子供を抱えている、というのでは、再び社会に職を得るのは男性とは比べものならないほど困難なのだ。

筆者の大学のある女子学生はリポートに次のように書いた。「女性の生き方には様々な選択がある。仕事、子育、その両方。どんな生き方を選ぼうとも、社会が評価・差別してはならない。誰もが自分の考えを大切にし、生き生きとした生活を選択できる社会こそ理想の社会ではないだろうか」。日本は果たして、そういう社会を実現できるのだろうか。若い女子学生たちと向かい合いながら、新政権の「子育て支援政策」を注視している。              

 
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2010年03月23日

チームで課題を解決する力

 昨日の卒業式。着飾った晴れやかな人たち。付き添うご両親の笑顔。
 会場には初めて大型スクリーンが導入され、祝辞をくださる来賓、もちろん学長、そして会場の卒業生の顔が大写しになる。学部の吹奏楽同好会の生演奏も合唱サークルの歌声だって式に花を添える。
 短大の卒業式は華やかだ。

 学長は、この大学での、社会に出るための基礎能力の育成に触れ、学生がレポートに書いたグループ学習についての感想を引き合いに出しながら「チームで課題を解決して行く力」の大切さを語った。お互いに、刺激しあいながら学び合うことの大切さを、生涯学習という視点から語った。
 それを受けて、答辞を読んだ学生は、まだまだ20歳とは思えないしっかりした表情と語り口で、この学校での2年間にわたる学習の過程を、戸惑いから始まり、そして充実感・達成感を感じるまでの心の動きを率直に語った。

 この短大の学習方法はユニークである。全員が教卓の教師を向いて座って授業を受けるという授業は数えるほどしかない。すべてがグループ学習。それも課題解決を求める。2年になると、専攻したコースを離れ、いろいろなコースの人がごちゃ混ぜなクラスを組み、ミッションとして課せられた大きなプロジェクトに取り組む「課題実践研究」というゼミ的な授業がある。それは地域の人へのパソコン教室だったり、これから入学してくる学生への入学前授業だったり、卒業生対象のイベントだったりする。そこでの教員の役割は補助的なもので、口出しはせず、学生の運営を見守るだけだ。
 初めてその授業を受け持った時は、口出ししたい気持ちを抑えるのにずいぶんとじりじりしたものだ。ただ、クラス運営に行き詰るリーダーとじっくり向かい合い、時には涙にも付き合った。
プロジェクトに使う備品の手配とか予算を学校からひきだす手続きが教員の仕事ぐらい。学生が、学校外の人たちとかかわる機会も多いので、その人たちに失礼がないように、事前に調整することもあった。そして失敗があった時のお詫び。これは大きな仕事であった。

 短大のこのような学習の中で、高校を卒業したばかりの学生たちは、見違えるように成長していく。特に就職活動を経ると、幼いと思っていた顔つきが一変する。
 昨日の卒業式だって、その晴れやかな表情に「えっつ、誰だたっけ」と見違える学生が多かった。

 とここまで書いたらメールが。友のお母様が亡くなった。すぐに行くと言ったら、「大丈夫。親戚が来るし…もう母はi逝っちゃったし」と。
 30年にもわたって人生を身近で歩いてきた友。お互いに叱咤激励しながら生きてきた友。そのお母様にもずいぶんとお世話になった。人生は一人では生きられない。
ご冥福を心からお祈りします。
 悲しいけど、後で、一杯お母様の思いで話を聞かせてね。何かあったらいつでも行くから。今日は自宅で待機してます。
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2010年01月20日

第一線を退く

 昨日職場の上司(?)に呼ばれて、新年度に受け持つ科目とか将来予定しているカリキュラム編成などの意見を求められたり、なんやかやの依頼などを受けたりした。その中で彼は言った。
 「我々年寄りは若い人(先生)を援助したりサポートしたりする役割ですから(笑)…」。
 おっとちょっと待ってください。「私も年よりですか?」などと笑いながら返して、「ごもっとも」と。

 最近本当にそう思う。そして「定年」とか第一線を退いた人の心を思う。自分がそうだからだ。そして自分にいつも言い聞かせている「できる範囲で若い人を援助しよう」と。自分の思惑通りとか、自分が考える通りに組織や仕事を動かすことはもう役割でない、と。
 第一線を退いたものは若い力にその判断や組織の運営を譲らなければならない。
 私などは、いつも組織の末端に位置していたので、それほどその役割というか権力に固執するという経験はないが、組織の中枢にいた人たちはどうなのだろう。自分の考えが通り、組織を動かし目的を達成する、たぶんそれはとても大変だけれども、何物にも代えがたい達成感があるのではないだろうか。少なくとも自分自身の存在をいやというほど感じられるだろう。自己実現という言葉はあまり使いたくないけれど、仕事の究極の目的かもしれない。
 それがなくなるのだ。そしてアシスタント役に回る。その役割の変化についていけない「定年」退職後の人たちが多いとも聞く。定年後も「役職」(役割)で人間関係を築こうとする・・・そしてついには、若い人たちへの不平不満につながり…。悲しい老後でもある。

 と自戒しつつ老体に鞭打って自分にできることを確実にお手伝いさせていただいていこうと思っている。
そろそろ人生の締めくくり時期だ。悔いのないような仕事生活を送りたい。

 
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2010年01月08日

「何」をするかではなく、「どう」するか

 いつもなら自宅にいる曜日なのだが、代講をするために出勤している。そしていまそれが終わった。(ひつじ先生のクラスである)
 これから就活を迎える学生への「就職関連」の授業の最終回。半年間この授業を担当してきた先生は今、出産休暇中、臨月である。出産も女性にとっては一生の仕事。そんな彼女に代って最終回の授業をやってきた。

 学生の作文の発表を聞きながら、うむうむこれなら大丈夫、きっとこの就職氷河期を乗り切ってくれるだろうと。なかなかいいぞ。
 そして最後の3分間、彼女らへのメッセージを贈った。百子の考えを。
 
 「自分がやりたい仕事」にこだわらないこと。「何をするか・したいか」ではなく与えられた仕事を「どう進めていくか・どのように取り組んで行くのか」を考えてほしいと。そうしたらどんな仕事でも楽しさが出てくる。仕事は楽しくなければならない。それは自分の責任でもある。
 そしてそんな仕事の進め方の基本は、この学校の一年間で皆は十分学んでいる。自信をもって就活を始めて欲しい、と。
 
 今日初めて顔を合わせる学生たちでもあるし、どこまで伝わったかはわからないがみな神妙に聞いてくれた。やはり若い学生はかわいいぞ。自宅研修日返上で出勤したのだが、なんだか妙な達成感があったりしている。

 さぁこれから一人で映画でも見て帰ろうか・・・。
 
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2010年01月07日

小さなネタ

 昨日は久しぶりに都心に外出。もう仕事が始まっているのか昼間のミッドタウン界隈はあまり人がいなかった。東京・都心。年末年始のわずかの間ではあったが、日本海側とか、群馬の田舎とか、もちろん地元埼玉での生活が続いたので、なんとも都心は新鮮である。極寒の京都ともまたちがった風情の東京都心。やはりこの地は離れられないと実感。久しぶりに刺激的であった。

 郊外から1時間半近くかけて出勤している。池袋・新宿・渋谷を通ってくる。以前はJRを使っていたのでそれぞれのターミナルを通過していたが、今は地下鉄で渋谷まで来てしまうのであまり都心に出るという実感はない。時には最先端の街並みを昨日のように歩いてみるのも悪くないものだ。

 さて、今は研究室。いよいよ仕事が始まる、今年。
 心の中で混沌としている“やりたい仕事のネタ”が、どうにか形になって、確信となってわが身を行動へと導いてくれることをじっと待っている。
 何でもそうだ、心の中のもやもやがはっきりした形となって意識の上に登ってくるには、それなりの時間が必要なのである。そうして確信となって行動が始まる。

 職場のポストに入っていた、もう20年前にもなる元職場の後輩からの思わぬ賀状。「ご本を読んで本当に力が出ました。こんな風に昔の先輩に出会えるなんて思いもしませんでした」と。彼女は今東北の都市で3人の娘さんを一人で育てている。
 こんな出会いが、心の中に芽生えた小さな“ネタ”を育ててくれる。
 
 昨日の都心の風景も心の糧となって心の中の“ネタ”を育ててくれる栄養になるに違いない。

 
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2009年12月29日

今年の総括(3)出版のことなど

 この一年本当に早かった。昨年春から持ち越された出版原稿の行く末も見えず、でも静かに期待しつつ年が明けた。2月3月には動きはなく、それでも新しい環境での仕事に気を紛らわせて春を迎え、母の一周忌。「お母さんに本のこと報告したかったな」などと思いながらじっとその日を待った。そして占い師の言った通りに6月を迎えると、にわかに出版に向けて動き出し、そして7月、念願だった拙書がやっと世に出たのである。

 「何でここまで書いたの?」とよく言われる。
 短大へ入職してから3年目ぐらいからだろうか。何か書きたいな、と漠然と思い始めた。ブログを始めて、書く楽しさを感じ始めたころである。でも何を書いていいのか分からない。ある分野の学問をずうっと研究してきた学者でもない。専門的に書く材料はあまりなさそうだった。短大で割り当てられた新しい分野(ホスピタリティ)で何か書こうか。でも当時思っていた(「ホスピタリティ」は教えられない」)ではあまりにも、逆説的すぎる。では何が書けるか。でふと思いついたのが「交流分析」の脚本理論とさまざまな「キャリア理論」だったのである。
 
 短大に入ってすぐ、卒業生の集まりで「キャリ」のテーマで話をしたことがある。その時キャリアの理論、「プラン・ド・ハップンスタンス」の話をした。そしてそのチャンスをつかみ取れるのは、その人の「行動特性」なのではないかと話して、はっとしたのである。自分自身のことを例にとり話しながら、自分自身の中で今までの経験がすうっと、一本の線になって見え始めたのである。
 もう何年かで還暦を迎えようとしていた時であった。思いもかけず、短大の教授という職を得て、自分の人生はなんだったのだろうかなどというほど大げさなものではないが、その講演をきっかけに考え始めていた。「キャリアの理論」と「交流分析理論」を結びつけて自分の「キャリア」を分析してみたら面白いのではないか。幸い?百子が36歳で再就職という形で職を得るまでの経験は、人があまり経験したことがないようなものだ。時々笑話で昔の経験を友人たちに話すと、みな興味しんしんで面白がってくれた。
 そればかりではない。60歳という人生の節目を何年か後に迎えるにあたって、昔の経験や、ドロドロした感情を「清算しておく」必要性も感じ始めていたからである。
 そうして何が何でもまず書いてみようと、書き始めたのである。

 自分史にふと涙する炬燵かな  百子
 
 書きながら涙を流し続けていた。「ふと」どころではない。しかし筆者が感情的になってはいけない。何度も推敲を重ねた。できるだけ客観的な事実だけ書こうとした。そして

 自分史が他人史となる五月晴れ  百子

 という心境になったのである。原稿の執筆は、朝早く起きて出勤前の時間をあてた。実質的にかかった時間はそう多くない。一度書いて、次の日に読み直して、そして何日か経ってまた読み直して次に行くという工程だ。

 書きあがった原稿は、先輩のI氏に読んでもらった。やはりどうしても独りよがりな表現がある。人を傷付けるような表現は避けなければならない。それを指摘してもらったのである。構成に関しても助言を頂いた。そうしてやっと形になった。
 それを何社かの出版社に持ち込んだ。出版社を当たるにはずいぶんと勇気が入った。その原動力はI氏をはじめとする先輩諸氏の心強い助言である。「これはおもしろいよ」「これはきっと世に出る本だ」。
 それに脱稿する直前に逝ってしまった母への思いがあった。何が何でも世に出さなければならない。それも出版社を決めるのは自分自身の力でと。葬儀の一週間後から出版社を回ったのである。

 こうして「女36歳からでもキャリアは作れる」が世に出た。
 百子にとってのこの一年の一大イベントは、やはりこのとこだろう。
 
 来年は…どんなふうに仕事を通して自己表現をしていくのだろうか。百子




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2009年12月17日

ブスは結婚できない?という思い込み

 ずっと昔。小さい時、自分に近い人達から言われ続けてきたことがあります。「お姉さん達は器量良しなのになんであなたは…」。
 
 そうです。私には二人の姉がいるのです。11歳、6歳違いの姉がいるのです。彼女たちは、タイプは違うけれども、いずれも本当に器量良しなのです。上の姉は日本的で端正な美人、次姉は現代的なお目目ぱっちり美人。
 それに加えて百子の幼少期は、一重まぶたの、うらなり瓢箪みたいな顔色の悪い女の子でした。だから、「何であなたは…」とずいぶん周囲の人から言われていたのです。先の言葉を。
そんなことをずっと気にしていた百子は、ある時は顔色が悪いのを気にして、ほっぺたをこすっていたら、皮がむけて、かさぶたができてしまったこともあります。暗ーい少女だったと思います。4人姉兄の末っ子でしたから、それに母は、そのころ仕事に復帰していましたから、あまり私のことはかまってくれません。末っ子のひがみもあります。ハハハ。そうして二人の姉たちは20歳そこそこで、男の人に見初められて結婚していきました。一人は学生結婚、一人は卒業と同時に。百子の近くの人たちは言いました。「やっぱり器量良しは、みんながほっておかないわね。いいわねぇ」。
  
 そこで私は思い込んだのです「私はブスだからきっと結婚できない。」「じゃぁどうしよう」そして母の言うとおりに、仕事を続けなければならない。女でひとりで生活をしていかねばならない。と、幼い心で決めたのでしょう。

 そんな時期からずいぶん経って、百子もなんとか縁があって結婚しましたが、結婚式に来てくれた職場の先輩の女性は、花嫁を差しおいて言ったものです。「あなたのお姉さん達本当におきれいねぇ」と。花嫁姿の私は打ちのめされました。そしてさらに幼少期の思い込みが強まったのです。
 さらに結婚当初夫は「君は仕事から帰ってきたときの顔が一番きれいだね。顔が締まって」といったものです。えっつ仕事しなければきれいじゃないの?と密かにひがみました。

 で、結局そうなってしまいました。 小さい頃容姿のことで、ほとんどほめられたことがなかったので、今だに褒められると「嘘ばっかり」「御世辞言って…」とマイナスに受け取ってします。信じられません。そうして今、女ひとりで生きています。幼少期の思い込みのとおりです。

 幼少期の思い込みは、周りの人が作るのです。怖いです。小さい子供はほめて褒めて育てましょう。小さい頃の成功体験は大事です。人生の岐路での選択に影響します。言いかえればキャリアの道筋に影響するのです。これが脚本です。
 なんとも怖いものです。ヘヘヘ。
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2009年12月03日

転職活動中の女性

 ある女性(24歳)。また12月で解雇されるという(業績不振)。新しい年までには新しい就業先を探さなければならないという。
 一社目、モバイル販売の店(9か月で体調を崩し自主退社・正社員))
 二社目 IT企業の社長秘書(1年4か月で業績不振で解雇)
 三社目 総合病院医療コンシェルジュ(7か月で業績不振で解雇)
  (仕事と仕事の間には空白期間はない)

 ついてないなぁ。それで今度はどんな仕事がしたいの?「もう業績不振にならないような会社がいいです。それに正社員で」そうだよねぇ。仕事についてどう思ってるの?「私趣味が・・・ダンスで、これはずうっと続けたいからあまり残業のないとこがいいかな・・・」趣味を第一優先するなら、契約社員でも派遣でもいいじゃない。「いいえ、やはり仕事は結婚してもずうっと続けていきたいから・・・」じゃぁこの辺で本気で、自分のキャリアを作るつもりにならないとね。それでどんな仕事がしたいの?「よくわかんないのです。でも、じっとデスクに座っている仕事は向かないし、かといって営業は、きつそうだから・・・。販売はいやです。会社の中で人と接する仕事がいいです」。こまったなぁ。要するに、業績が悪くならない会社で、正社員で、ルーティンワーク的な業務や営業ではなくて、人と接する仕事で、残業があまりない会社かぁ。それでは、あなたは、今までの経験で、何ができるの?これは私に任せて!といえる仕事はある?。「うーん。人との接し方かな?」だから秘書とか、コンシェルジュなのね?でも営業もできるんじゃない?向いてるかもよ。あまり自分の枠を持ち過ぎないで、何にでも挑戦してみようという気持ちがないと、なかなかキャリアの基盤ははつくれないんじゃないかなぁ。「はい」新しい分野の仕事に就く自信がないの?「いえ、そんなことないし、今お金がなくてスナックでアルバイトしているんですけど、その仕事にはすぐになじめたし・・・」。「でも私ちゃんとした会社で働きたいのです」ちゃんとした会社って?・・・・。

 ・・・・・。・・・・・・・・・・・。うーん。
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2009年11月09日

同級生からの手紙

 職場のトレーに一通の手紙が入っていた。・・・養護学校。何だろう?と封を切ってみると小中学校の時の同級生からの手紙である。地元の県の教育委員会の仕事や教師、そして福祉の大学での仕事を経て、今は養護学校の校長兼事務局長をしているという。彼は小学生の時からボーイスカウトをやっていた。その関連なのだろうか、・・県キャンプ協会理事長との名刺まで入っていた。
 中学生の頃は、ずいぶん女の子にもててかっこよかったようだ。だから百子とはあまり接点はない(百子は真面目で硬派。それに男の子にもてるような女の子ではなかったと自認している)。
その彼の奥様が、百子の本を偶然買ってきたのだそうだ。そして彼も本を読んでくれた。

 本の感想、そして自分の今の仕事などが綴られていた。特に養護学校の仕事についての話には、障害を持つ子供たちへの愛情が感じられ、思わずすごいなぁと。立派な仕事だなぁと。彼はずっと教育畑、それも青少年の育成にかかわってきたことが文面から読み取れた。

 ひとつの分野ではあるが、形や形態が違う仕事。それをずっと続けられる。やはりその分野の、コンセプトというか、エッセンスというか、要素というかが、その人の仕事とか人生の価値観とマッチしているからこそだと思う。まったく興味のない分野では何十年とはは続かない。また180度違う価値観をもつ分野でも同じ事が言える。
 表現を軽くいってしまえば、「その分野」にはまるということだろうか。

 この年齢になって、まだその仕事に興味をもってずっと続けていられる。これはやはり「はまった」ということなのだ。仕事は楽しくなければ続けられない。楽しくするのは自分だし。
 この年だから仕事ってそんなもんだと感じるのだろうか。

 「仕事を続ける」という同志が、男性ばかりになってきた。

 

 
 
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2009年10月31日

ちょいと斜め読み

   商品の詳細
 (副題ー誰も教えてくれなかった女性の働き方)光文社
 
 風邪気味の昨日、何もする気にならずゴロゴロとしていたところにアマゾンから本が届いた。ネットをさまよっていた時、気になった本を注文していたのだ。そういえば不在配達の紙が入っていたっけ。再配達依頼の処理も忘れていた。風邪に気を取られすぎて。
 帯には「私の人生を助けてくれた本」勝間和代氏、とある。ふーん。で斜め読み。
 
 会社での仕事を「ゲーム」と名づけて、その中で昇進や成功を勝ち取っていくための処方箋。納得することもあり、当たり前じゃんと思うところあり。しかし新卒の女性で、仕事に意気込んでいる人には役立つだろう、と。
 心理学の「交流分析」では、対人トラブルのことを「ゲーム」と呼んでいる。楽しくて一度やったらなかなかやめられない、ということだ。
 この本でいう「ゲーム」は仕事。仕事ほど面白いものはないという風に置き変えれば納得。
 印象に残った箇所は「現在の大学教育の多くは、ビジネス社会では何の意味ももたない」・・・ 
 ここまで書いて気が付いた。この本、ブログ仲間の記事にあったような…違いましたっけ?

 とにかく、ノウハウ本を読んで納得、と思うのは自分自身の経験に照らし合わせて「うん、そう」と振り返って思うのであって、ここに書かれていることを、これから自分自身行動として実践していくのは難しい。しかし何かにぶち当たった時にこのような本を開いて、解決策を見つけるのはいい方法かも。事例の多くはアメリカの、いわゆるエグゼクティブの女性たちだ。
 

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2009年08月17日

数字音痴

 夏休み気分を吹っ飛ばすために、今朝は朝早くからたまっていた仕事を片付けた。スクーリングの採点である。特に気を使うのは、合計点。何せ百子は数字音痴なのだ。どんなに注意しているつもりでも、数字をひっくり返して読んでしまう。簡単な足し算ができない。ポカミスが多い…。
 手元の作業に集中できないらしいのだ。常に頭は別のことを考えているのかも知れない。
 たかが数字…されど数字。つくづく銀行に入らなくてよかったと思う。先日も拙書の原稿で痛い目に合っている。

 新卒のとき、実はある都市銀に内定をもらっていた。もちろん事務職(一般職)。銀行側は、せいぜい2-3年勤めてやめるだろうと思っていたのだろうが、こちらとて、当時は数少ない就職先、どこでも入れればという気持ちで受験しただけである。
 銀行に入社しなかったとこは、双方にとってどんなに良かったことか。 

 どうしても避けられない天性?というものがあると思っている。百子の場合は数字にあらわされる緻密性の欠如。しかし勘がいいというか、直感がある様なので、数字を見ていると直観がひらめく。まぁおおざっぱなもので、分析というには程遠いけど。
 こんな自分の、能力というか行動パターンを自覚していないと適職にはありつけないだろう。

 昔、小さな会社の6歳年上の女性の上司にこんなことを言われた(拙書「女36歳からでもキャリアは作れる」の中では「おこごとさん」として登場する人物である)。
 「自分が苦手だと思っていることでもそれを自覚して努力すれば克服できるわよ」と。
 でもどうしても、百子の“数字音痴“は克服することが出来ない。まぁ自覚はしているけどね。
 銀行の道に行かなくてよかったと思っている。
 
 採点のときは、十分自分の弱点を自覚して、何度も見直しをしています。ご安心を。
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2009年07月21日

書評

 ジャーナリストの伊藤洋一さんが、ご自身のブログで「女36歳からでもキャリアは作れる」の感想を書いて下さった。(http://www.ycaster.com/diary/index.html)

 社会との男性と女性の距離感の違いなど、ん?そういう見方もできるのか…と思う。筆者である私は女性だから、女性の立場(というか自分自身の価値観)で社会(会社)との関わりを書いてきたのだが、それが男性の読者にとっては、ちょっと異質なものと感じるのだろうか。転職(会社から会社への泳ぎ方)も男性とはちょっと違う、と感想を含めて書いてくださっている。
 
 男性の見方だろう。この本は「女性」を基軸にして書いたのだが、男性からの感想も、「女性のキャリアデザイン」をテーマにする私にとっては大変参考になる。今度お会いした時はその辺を聞いてみたい。
 伊藤洋一さんとは、全日本鍋物研究会を通してもう10年以上の知り合いだ。何度かの中国、モンゴル、そしてこの夏のブータンもご一緒する。現在、氏のブログは、一日一万件以上のアクセスがあると聞く。多忙な日を送る彼が拙書を読んでくださったことに感謝しよう。ありがとうございました。

 今日で短大の授業(昼間)が終わり、後は2部(社会人)の授業が8月の第一週まで続くが、すこしほっとできる静かな時間が持てるかもしれない。何かのんびりボおーっとした時間が欲しいと思う。しかし・・・
 伊藤氏が最後に書いて下さった。
「筆者のこれからの人生は何が待ち受けているのか、まぁ今後はあまり波風が立たないかも。それに彼女が満足するのか、それともちょっと不満に思うのか…」
 
 確かに。平穏で静かな人生なんて、私にはふさわしくないのかもしれない。できないかもしれない。なぜなら、すべての出来事は自分自身で作り出しているのだから。 
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2009年06月14日

人員整理

 息子のブログにこんな記事が載った。

 彼の会社は、御多分にもれず不振。一部上場のサービス産業会社のネット広告部門を請け負っている部署。経営的にはかなり厳しく、このたび、その部署の売却となったらしい。要するに経営者が変わる。当然人員を整理しなければんならない。彼は部員一人ひとりと面談をした。何人かに辞めてもらわねばならない・・・。のだ。
 
 一人は彼の片腕と思っていたほどの力がある優秀な人材。もう一人は、最近彼の部に移ってきた女性。入社以来ミスが多くて、仕事の能力が疑われている。しかし仕事熱心で、遅くまでこつこつと仕事を続けている。
 質問は「経営者が変わるとかなり仕事が厳しくなると思います。新しい体制で、仕事を続けていく自信がありますか?。どんなことを会社に貢献できますか?」
 男性の答え「僕は経営者が変わって、方針が変わっても何も変わりません。ただ上司の指示には忠実に百パーセントの力で仕事をします。その自信があります」
 女性の答え「私は、お客様(クライアント)に喜んでいただける今の仕事が大好きです。よりお客様に喜んでいただけるために、全力を尽くします。でも仕事ができないので(社員の)皆さんに迷惑ばかりかけていますが、今のこの仕事が好きなんです。だから頑張ります」

 彼は頭を抱えてしまった。会社にとってどちらの人材が重要なのか・・・。
 彼はどのような判断を下したのだろうか・・・。まだブログには何も書かれていない。

 昨日、あるIT関連会社の技術者のリーダー研修を行った。その席で、この事例を使わせてもらったが、私も答えは出していない。
 管理者も、社員も、経営者も大変な時代なのだ。
 仕事の成果、個人の仕事に対するモチベーション、管理者の人の管理と評価、
 我々に突き付けられている問題はおおきい。
posted by 百子 at 14:29| Comment(2) | TrackBack(0) | キャリアデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月09日

入社後3か月を迎えた卒業生

 ほっこり、今年の3人の卒業生が訪れた。みな大手の会社に入社して3か月。
 旅行会社、ホテル、そして写真館。みな学生の時と変わらず(豹変もせず)。
  「まだまだ楽しいという段階ではありませーん。仕事覚えるのに必死。サービス業なので、3人時間を調整して、今日来たのです!」と。
 
 旅行会社の卒業生は「お客様のサービスが、本当に悪くて、私がお客だったら絶対この旅行会社には二度と来ない、と思うぐらいで・・・」と早くも職場の問題点を察知。
 「ホテルでベルをやってます。幸い外国のお客様があまり来ないので、苦手な英語は使わなくてもすんでいまーす。やはり憧れの仕事だったのでうれしいです」
 「新入社員の研修が終わって、今はテーマパークの近くのホテルの中で、写真をとってます。こっちは、外国のお客様が多くて、いろいろ大変!」
 で、3人そろって、「まだまだ勉強中で、仕事が楽しい!と感じる余裕はありません。でも先生、3年は今の職場で頑張って見ようとみんなで話しているのです」と。うれしいではないか。

 「でも・・・さんは、早くもアフター5の時間で(どうもしょっちゅうコンサートに行っている)仕事のきつさを、紛らわしているんですよ。彼女せっかく都市銀に入ったのに、もったいないよねぇ。仕事が難しくて…っていつもブログに書いてるし…」と同窓生を気遣う発言も。
 そうか、級友たちとはブログで近況を連絡し合っているのか・・・。

 卒業後もみな仲良くていいね。お互いに刺激し合って・・・。在学中はよくみんなで、イベントをしてたよね。何せ、観光・国際コースだから。

 そういえば、学部の一年生のゼミのみんなも、早くもボーリング大会をしたとか・・・。やっぱり同級生はいい。
 みながんばって。卒業しても、こうやってまた報告に来てね。
posted by 百子 at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | キャリアデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする