2011年09月05日

能登の旅A友人のこと

 能登の旅は、旧友との旅であった。今年は総勢8名。全員集合となると9名の仲間だから今年は一人欠けた事になる。
 旧友との付き合いはもう35年以上になる。大阪で長男が生まれて間もなくの頃からだ。ほとんど皆、近くに親族がいない人ばかり。結婚して一人目の子供を授かるころからだ。子供ができても近くに助けてくれる親族などいない。実家を離れての子育ては心細く…そんな時同じような状況にあった人たちが自然発生的に声をかけ合ってできた仲間だ。だから友の年齢は、上は70歳近くの人から一番下は60歳近くの人までいる。子供たちの年齢は、もう40歳近くになってる娘やまだ20代後半までいる。
 いつもは同じマンションで一緒に遊んだり、お昼を食べたり…そうこうしているうちに、一人、二人と、転勤で東京に戻る友人が出始めた。百子はコスタリカへ転勤である。そんな時から年一回。子供一緒の旅が始まったのである。
 ご主人の会社の保養所等が多かったのだが、子供が大きくなるにつれて(そう高校生ぐらいまで一緒に来たかなぁ)、保養所のない地まで旅行をするようになった。母親だけの旅行である。近年では、紀伊の熊野古道、城崎温泉、男鹿半島から青森の旅、もちろん近場では箱根、軽井沢・・・と続いている。

 そのまま大阪で暮らす友3人。あとは東京近辺に住む。子供たちは結婚した者、依然と独身の者、職業は医者や銀行勤め、広告代理店や着物屋さん、娘も息子も仕事についている者がほとんどだ。中には外国に住んでいる娘もいる。 毎年近況報告をしあっているから大体どれのどの子がどうしているかお互いが分かっている。
 仲間の多くは、子供が大きくなるにつてれ専業主婦から脱却し何らかの仕事を始めた。中には闘病を続ける御主人を献身的な看病で見取った人もいる。もちろんバツイチになった人も・・・。

 どうしてこんなに長く友達関係が続いているのだろう。よく言われる。
 まず第1に、旦那抜きの付き合いで始まった(だんなさん同士中がいい人もいるが)。第2に子供が小学校に上がるぐらいから皆別々の地にすむようになった(学校が違う)。第3は皆生活環境が似ている(だんなは皆団塊の世代のサラリーマン)第4はみな、それぞれ個性的で面白い人たちである・・・(相手を受け入れるおおらかさがあるのかな)。

 その人たちとの旅行は・・・本当はどこに行こうと同じ。何しろ、おしゃべりおしゃべり。景色など眼中にないみたい。行動的な人たちだから目いっぱい観光ルートを組むのだけれど(行きたがるのだけど)、どのくらい印象に残っているのかなぁ。観光地でちょっと休憩とお茶の時間にしようなら、何時間でもそこでのおしゃべりが始まるく。お尻に根が生えてしまったように・・・。
 話す内容は、オットのこと、子供のこと、最近では孫のこと、友人のこと、病気のこと、まぁまぁ自分のこと中心の報告が延々と続く。それと昔の話・・・・。時には、たとえば5人のグループで話しているのに同時に3人の声が聞こえる事もあるのだ・・・。

 まぁ一年に一度の逢瀬。
 今回も奥能登を中心に能登半島の先端をほぼ一周したのだけれども、チャーターした大型タクシーの中でもおしゃべりは続いていた。
 そして最後に出た言葉は「もう海を見るのは食傷気味よ」
 あれつ。そんなに景色を見ていたの?
 こうして能登の旅は終わった。

 来年は、岡山・広島を中心に旅行をする予定である。

posted by 百子 at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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