2011年08月31日

「子規は何を葬ったのか」空白の俳句百年 を読む

         子規は何を葬ったのか.jpg

 今泉恂之介氏(俳号・而雲)のご著書「子規は何を葬ったのか」空白の俳句百年 を頂戴したのは、稚内・利尻の旅から自宅に帰ってきた夜遅くであった。ポストの中に出版元(新潮社)の封筒に入っていて、新潮選書にしては斬新なデザインでグリーンの帯が印象的な表紙のご本だった。
 旅の荷物をほどくくこともせず、「序章」を読んだ。次に「あとがき」を読んだ。
 今泉氏が、俳句の本を、特に子規に関するご本を執筆されていると知ったのは、今年3月の松山吟行にご一緒する前だったような気がする。松山では吟行の傍ら今泉氏の精力的な取材が印象的であった。夏前には刊行されるだろうと伺っていたのだけれども、夏に入っても出版されたという話は聞かなくなり、どうしたのだろうと思っていた矢先に届いたご著書だった。なるほど、そうだったのか・・・。
 
 7月末、今泉氏とこのご本の「あとがき」に登場する大澤水紀雄氏(俳号・水牛)が代表理事を務めるNPO法人双牛舎から、「芽吹きーみんなの俳句・東日本大震災に寄せて」が出版された。その巻末に今泉氏が書かれている文章がある。「俳句の本質・・・」についての文章。その趣旨と、この「子規は何を葬ったのか」の終章に書かれている今泉氏の文章が一致するのである。
 今泉氏は「終章」で「当初の執筆『主旨』がだんだんずれていってしまった」と書いている。これが出版が遅れた理由なのだと思うが、その過程で今泉氏は、「私が俳句について最も言いたかったこと」として「俳句史の本流は”普通の人々”であった」事に気付いたのだという。
 ご本の中ごろ以降のページに登場する、江戸末期から明治の始めに生きた女性と思われる俳人たちの句の数々は本当に、普通の人たちの毎日の生活の中から生まれたすばらしい句ばかりである。
  垣越しにもの言いかけて梅の花   有光女
  涼しさや藁で束ねし洗い髪      鶴女

 この著書の多くは、小林一茶以後、正岡子規以前までの俳句。子規が「堕落し、救いようのない状態にあった」「月並みで見るに堪えない」と酷評した約百年の間にそれなりに活躍した俳人たちの足跡と句を膨大な資料の中から拾い集めている。
 土方歳三が俳句を作っていたというのも驚きだが、三森幹雄、穂積永機、井上井月等、百子にとっては初めて聞く俳人たちの人となりと句の数々が興味深い。
 今泉氏は、国会図書館に通いながら膨大な資料と向き合い、またジャーナリスティックな視点から、先人たちの句の解説ばかりではなく、実際の生活の姿をあぶりだしている。先人たちの日常までもが見えるようだ。大変興味深く読みやすいご本であった。

 読み始めから「月並み句」とはどんな句なのだろう。と思っていた。
 「月並み句」と子規が切り捨てたという句はどこが「月並み」なのだろう。
 そのこととは「終章」で触れられている。
 では、いい句とは・・・。これは文中で今泉氏が「いい句」として取り上げた先人たちの句をじっくり読むしかない。これが俳句の勉強ということなのだろう。
 しかし一つだけはっきりと言えるのは、普通の人たちが作る俳句のなかにも「いい句」は生まれる。ということのようだ。

 
 幸いにも百子は、すばらしい俳句の先生、この御本の著者である今泉而雲氏や大澤水牛氏のご指導を受けています。(時には先生たちに悪たれをついてしまうこともありますが・・・)。この幸運を大事にがんばりたい!とご本を読んで改めて思いました。
 ありがとうございます。今朝見たアマゾンの本ランキング・評論部門で 2位 になっていました!
 俳句を愛する多くの人たちに読んでいただきたいご本です。

  「子規は何を葬ったのか」空白の俳句百年  新潮選書・新潮社刊 今泉恂之介著 1200円 8月25日発行

 

 
posted by 百子 at 15:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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